歌を口ずさみたくなるきもち

アニメのOPとか見てると一緒に歌いたくなる。本当はコンサートでも一緒に口ずさみたくなったりする。でもそういう施設やコンサートがないのがちょっと悲しいところ。カラオケで歌えとか言われそうだけどもBGMに乗せて自分の歌唱力を披露するのとはまた違うこと「一緒に歌いたい」というのが願望である。

そんなこと気にせず自宅でミュージックPVやアニメのOPEDなどを見て歌うのが、ひとつの楽しみになっている。上手い下手関係なく、楽しめればそれでよい。心に残れば、落ち込んでいたり身体的に疲れているのも回復してくれる。音楽にはそういう力があると思う。

自分が思う「慈愛の精神」

否定的なことを討論する人は沢山いるけども、肯定的なことを討論する人は少ない。他人の不幸は蜜の味とも言ったところか、他人を思う慈愛の精神というのは限られた人が持っている特別なもの。

ところで慈愛の精神ってなんだろう?と思う人も多いだろう。簡単に言えば「自分が愛されたければ他人も愛しなさい」ということ、自分が幸せになりたければ困ってる人を助けなさい。そしたらいつか自分が困ったときに誰かの助けがくるでしょう。否定的なことを考えてる人には幸せなことは起きませんよという言葉です。

他人を恨めば、自分が恨まれる。他人を否定すれば自分にも戻ってくる。
人生というのはそういうものです。

ただ、「自分が幸せになりたいから他人を助ける」というのは慈愛の精神とは違うものです。よく勘違いされるのがボランティア「心の中で目立ちたいから」「協調したいから」とか「苦労を感じたい」が為に参加をする人が多々います。面白半分で参加するというのはそれは自分自身に快楽を求めたい(楽しみが欲しいがため)でしょう。とはいえ「キチンとした心前」で参加するのであれば、それは仏教的な思想「慈悲深い」苦しみを楽しみに変えて幸せにしたいという思想にもなるかもしれませんね。

慈愛とは「自分から幸せにはなってはいけない」愛情を振りまいていれば後から「他人から幸せをくれる」ということ。そして、この気持ちを心がけてると心が豊かになるものです。

こだわりのサイクル

何かに意識をしてしまうとそれが気になって毎日・毎時と見てしまう。楽しみや嬉しさ好奇心が欲しいだけで実際のところ集中出来なかったり一途にものを見てしまうだけでデメリットが大きい。変なこだわりを持ってしまうというのは「変化のない同じことを繰り返す」「まわりのことばを気にしてない」というのが要因。

「こだわる」ということが悪いわけではない。陶芸品をつくる巨匠やさかなクンのような専門家などと一つのものに貫き通す努力をする方もいらっしゃるのである。では、彼らとは何が違うのか?

それは「こだわりのサイクル」が違うからである。

まずひとつのことにこだわる。前回と同じことだとしても一途にこだわり。もう成長が見えなくなったら諦める。そして新しいことに挑戦するというのが「一般的なこだわり」

ひとつのことにこだわりながらも新しいことを取り入れて挑戦しつつ欠点をどう補っていくかを追求していくのが、「匠や専門家などのこだわり」の考え方かもしれません。

少し考え方が違うだけでも、成長の速さは雲泥の差。自分のしたいことを考えながらも新しいものに目を向けて情報を発信することが大事だと思います。