言葉にするほど伝えることはないけども…

言葉にするほど大事なことは無いけども、声に出して叫びたい気分である。日本語って割と時候の挨拶から始めないと、急に何を言ってるんだ?という言い回しになりかねない。しかし時候の挨拶なんか気にしていると文章を書くのが怠くなって、やーめた!と声を出したくなるのがいつも通りだったりします。英語なら「Dear(親愛なる)」から始まって、いわゆる「隣人を愛しなさい」のようなキリストらしさが表れてるような気がします。日本語でも「前略」や「拝啓」などで時候の挨拶を省略することは可能なのですが、それでも「いかがはお過ごしですか?」のような安否や健康を確認する文は日本語から外すことできないので、英語の「Dear」という表現には簡易的な文章に一歩劣る気がします。

なぜ日本で要件を遠回しに伝える文化が生まれたのか?その要因としては「手紙」というのは送るものではなくて自分自身、もしくは身内の近状を伝えるもの、本題よりも元気に暮らしてます。そちらの状況はどうですか?と愛情を伝えるものと私は推測しています。日本軍の戦争であれ、戦国時代であれ一つの手紙がどれだけの心に残るものとしてのツールなのか分かるような気がします。そう考えると手紙を送れない状況というのは「何か問題があった」とか「言葉にするほどお伝えできない状態」ということになるわけですね。

ここからは漫言放語な雑談になりますが、最近呟けないのも要因としてはお仕事という理由もありますが、それよりも周りに披露できるような場面がない「声を出したいけども言葉にしたら変になる」ということです。何も考えず近状を呟ければ閲覧している人にも、アンネさんどうしてるんだろう?という状況をお伝えできるのですが…。ケーキたべた!国立科学博物館でミイラ展観てきた!のような子供っぽいことしか呟けないのでブログ(手紙)にするほどお伝えできないのが忌まわしいところであります。前回の日記から2ヶ月経ちましたが、流行の風邪で体調を崩すことはあったものの元気に暮らしております。年末に向けて忙しくなると思いますが、なにか話せるような話題があれば文章にしていきたいと願っております。

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