趣味は「ゲームすること」と、答えることができるか

ゲームの試合に勝利して幸せを感じることはあるけども、幸せを感じるためにゲームをすることはあまり好ましくないよね。

スプラトゥーン

いろんなソーシャルゲームやネットゲームを嗜んでいるのですが「勝利した優越感」というのを得たいが為に時間を割いてプレーをしちゃう。すべてが自分の思い通りに行くわけでもなく、失敗したり負けることもある。それが八つ当たりやストレスの原因にも変わってしまう。ここでは諦められないとゲームを続けてしまうことは精神的にも時間的にもよろしくない。

ただ、続けることによって「実力」というのは増えてゆく。ゲームを嗜むことで壁だったものが超えられることができる。経験というのは実力と同意義であり遊び倒すというのも悪い意味ではない。言えることは「趣味はゲーム」ということにできるか、他の趣味や娯楽を捨てることができるかだと思う。

一般的な「釣り(フィッシング)や アウトドア」が「ゲーム」に置き換わっただけで他の趣味とはなんら変わりはない。ただ導入のしやすさ自宅で行動できてしまう楽な考えから、誰でもゲームにめり込んでしまう中毒性があるということ。次から次へと挑戦してしまう追求心があるからだ。

ゲーム以外にやりたい趣味があるならゲームをすることはあまりオススメはしない、他にすることがないならゲームをたっぷり追求すればいいのである。

ゲームをやめたい

自分は他にも趣味を持っている。「読書」本を読むことも趣味だ。
外で行動するアウトドアなものが趣味と捉えがちだが、そういうわけではなく家の中でゆっくりと行動するインドアなものも趣味である。机を作ったりするD.I.Yも、人にとっては趣味ということになりうる。

もともとあった自分の趣味を犠牲にして「ゲームをすること」というのは本当に良いことなのか。その場の「優越感」を得たいがために仕方なく遊んでいるのではないのか?私はそう思ってしまう。

趣味をすることの時間は有限である。

その時間をどのように割くかによって「実力」というのは蓄積されていく。RPGでいうスキルのようなもの。読書をすれば知識が増え、D.I.Yをすれば技能が増える。特化したスキルというものは人にも尊敬されやすいし、それも優越感として帰ってくる。コストをどのように調整するかによって他人とは違う存在になることができるのではないのか。

断捨離

ついついゲームに手を伸ばしてしまうのであれば、物理的に無くせばよい。すぐに起動できてしまう環境があるからこそゲームをするのであって不便な状況を作れば自ずと「面倒くさい」と思う心が出来てゲームをすることに楽しみを感じなくなるはずである。

私も優越感を得たいがためにスプラトゥーンを楽しむことに半日。いやまるごと一日とゲームをすることに廃人になってた時期があるが、ずっと続けているとどんどんと知識が薄れ頭がおかしくなってゆくように感じになり。自尊心的にもおかしくなりそうと思い、WiiUのコンセントを抜き、倉庫の目のつかない取りにくい場所において違うことに趣味を置こうと考えた。それが良かったのかプレーをすることもなく違うことに趣を置けたのである。

信じられないと思うが「目から遠ざける」だけでも意識の違いは変わる。つい眼の前にあるから遊びたくなってしまうのである。快感だけの為なら「断捨離」したほうがオススメだ。それが辞めたいのであれば尚更である。

ゲームをすることは

「ゲームをすることも趣味」である。言えるのは中毒性が高いということ。それを押しのけてまでゲームをしたいかは人それぞれ、趣味は考えて「やりたいことをやる」というのを意識して行動をしたほうが良いのかもしれない。

[ ゆめにっき ] 血液が緑色な少女

季節風邪でしょうか。Youtubeの動画で面白おかしく笑っていたら喉を痛めて寝込んでいました。気をつけていても急に体調を崩しがちなので気をつけていたいです。

最近見た夢

血液が緑色な少女

生まれつき血液が緑色な少女。実は博士からつくられたアンドロイド。血液が緑葉体で出来ている。知識も未熟で人間的なことを覚えてくるや否や、博士に迷惑をかけてしまう。

口癖は「なんでワタシのここはミンナとは違うの?」

ゆめにっき

夢の中の日記。空想的な日記だけどもいつもの自分とは違う想いを綴る事のできる幸せなこと。怖かったり幸せだったり主人公目線だったり第三者視点だったり。自分とは違う異性で会話が進んだりもする面白い内容。

大体は忘れてしまうことが多いけども、しっかりしたストーリーは最初から最後まで覚えてたりもする。変わったヒラメキというのは夢の中で綴るということが多いのではないかな。

面白いこと

冬はなかなか小さな旅(小旅)にいけないので外出はご無沙汰気味でもあります。同じものをダラダラと続けるのが苦手なタイプの人間なので、趣向を変えたり違うものをチョイスしたりして幸せを得ることが多いです。最近で言えば横浜中華街で入ったこともない中華屋が美味しかったことでしょうか。四川麻婆豆腐がオススメみたいでしたが、お昼のランチタイムだったので今回は断念して普通の麻婆豆腐を選んでみましたが美味しかったです。

景徳鎮 http://www.keitokuchin.co.jp (動画が流れるので注意)

ブログのデザインを少しだけ手直し

マテリアルデザインって今でも流行ってるんですかね?
Webデザインの進化はすごく速いので新しいデザインにしても、直ぐに古びたデザインになってしまうのです。ただ自分のポリシー的に「自分が使いやすく多少でも見やすいデザイン」を心がけて作ってるので別に大掛かりに修正したりすることはないでしょう。

修正したところ

日付の表記


Post in 2019年2月4日という表記になっていましたけども、英語の部分要らないので消しました。結構スッキリして何日に書いたか分かりやすくなったと実感してます。

フッターの「new post」「older post」


日本語にして、どこを押せばいいのか分かりやすく背景を桃色に変更させていただきました。
これで少しは目立つようになったかな?

検討中

コメントからいただいた内容で「タイトルの下に投稿カテゴリーがほしい」という意見。実用性はあるのですが、デザイン的にはちょっと悩ましいのでどうしようか検討してます。(スマートフォンにもPCにも良い表現の仕方が思いつかないので)

とりあえずこんな感じです。久しぶりにブログ修正した気がします。(;・∀・)

断捨離と完成させるものに対する意識

必要な要素と必要じゃない要素を並べて断捨離してるところです。

過去の記事

過去の記事を見てると、その時は思ったことを述べていたけども内容としては面白くないし今の自分にとっては必要のないものだったりします。誰かに響いているのであれば投稿を消すことを諦めることもありますが、大体呟いていることは自己意識だけなので、ぽいっとゴミ箱に捨ててしまうものです。

捨てること

前の記事もアカウントを捨てたような内容を呟いてました。こちらは気持ち的な問題でしたが20日間くらい経ってスッキリしました。捨てることに躊躇するのは「無くなってしまう」損失感からうまれるものであり、一回離れてしまうと続けたくなくなるというもの。昔に書いた記事も評価がなければ捨ててしまいます。

悪いところ

色々断捨離していると「文章も書きたくない」「イラストも描くのもいいや」と「怠慢」になっているような気がします。コレは悪いサイクルです。「見せなきゃいけないもの」という意識がなくなったので時間を獲た代わりに「描かなくてもいいや」という意識になってしまっているのかと…。

考えられる対処

「時間」はあるので「ラフ(下書き)」でアップロード(見せる)のではなく、色を塗ってしっかりと「完成」して、そこから見せるような意識に変えれば充分変わってくると考えております。

長年、下書きの時点で評価してほしいからSNSなどに描いたよ!とアップロードしては撃沈していたので完成したものを見てほしいという気持ちを高めるためにもしっかりと頑張っていきたいものですね…。

新しい記事

新しい記事に対することとすれば「堅苦しい表現」は使わないということでしょうかね。割と伝えたいことを真面目に書いちゃうと表現が堅くなったり、教授みたいな言い回しをしちゃうので、なるべく読み手にも読みやすい。子供でも読めるような文章を心がけて行きたいと思っております。いわゆる今回の記事のような言い回しでしょうか?

日常的なこと

結構書こうか悩んでます。せっかくのブログ(日記)ですのでライフログ的なことも呟いてもいいと思っておりますがどうなんでしょうか?自己評論的なことをつぶやいてると。日常的な記事というのは必要なのかなと思って書くのをためらうこともあるのですが…。コレを気に気になったものは書くというのもいいかもしれませんね。

楽しくやってます。

ブログも変わりのSNS(Google+)もそれ程投稿してないので鬱になってるんじゃないか?と心配してくれる方もいらっしゃいますが、それとは真逆で元気にやっております・ω・

韓国料理 韓美膳

今までしなかったオシャレな料理を写真を撮ってメモを残すようなこともしてますし、その点では「今まで見えなかった新しいもの」に挑戦できてる気がしますね。まだまだ意識からは拭えてないですが自分の求めるものがゲットできればいいですね。

10年間続けてきたSNSを辞めました

10年間続けてきたSNS(Twitter)を昨日付で辞めてきました。というのも自分自身が周りの話題に乗れなかったり、必要じゃない情報やエセやパクリな情報が永遠に流れてきて、間違った情報に考えを左右されやすいのではと思い、綺麗サッパリ消しました。10年前とはいえ高校時代から続けていたtwitterなのですが、そのなかでも会話をし協調できることに楽しみを持てていた気がします。それからと様々な方とお話したいと想いながら続けていたのですが、それとは裏腹に「趣味の違い」だったり「趣向の違い」で見せたいものが違ったり、会話にならなかったりと考えてる方向性とは違う状況になってしまったので辞めるに至った訳です。

何度か躊躇したことはある

アカウントを消すにあたって今までの仲が良かった方と喋ることができなくなる。自分の築き上げてきた価値(イラスト)はどうなるのだろうと考えたりして、なかなか踏み切ることが出来ませんでした。時によっては複アカなどを使って世界観を変えてみようかと挑戦してみましたが見える世界は同じようなもの。やることも2つに増えたりして面倒くさいだけということだったので仕方なくいつものアカウントで呟いていた訳です。

会話のネタに自分はどう思われているのだろうかと自虐ネタやアンケートを使ったりすることで好奇心を感じてた訳ですが、それで会話することも興味を持ってくれることもあらず、自分自身の行動に嫌悪感を抱くことになりましてすべて無かったことしようと躊躇もなく消しました。

SNSをしなくなることでの辛み

共有することによる楽しみがなくなるので食事したときのオススメな写真や投稿が出来なくなることに辛さを感じることがあります。他のGoogle+とかに投稿すればよいという事もありますが、あちらも4月に閉鎖する予定みたいなので事実上なにもやることがなくなってしまうことになります。

ただSNSをしなくなったことによる時間の楽しみも出来たので、時間をかけて何ができるのだろうかと考え直してみたいと思っております。

新しいものを発見した際には

自分が目標にしていた「日記にして残す」ということができそうなので主に新しい話題とか頑張ってることがある際にはコチラのブログに投稿していきたいと思っております。「SNSに投稿する」というのは様々な人々に拡散することに長けてて便利でしたが「ログを取る」ことにデメリットを感じていたので良い移り変わりになるのではないかと思っております。

最後に

今までフォローしてくれた方。挨拶してくれた方。ありがとうございました様々な会話できて楽しかったです。別の要素で何か会話できればご一緒できればと思ってます。