無口とコミュ症と人見知り


「話し下手と文字を書くこと」- 黒姫のお絵かき帳
実は2年前に「話し下手と文字を書くこと」という記事で無口な人は何故無口なんだろう?という記事を書いていたのですが。最近、言葉を発せられない人の中にも「無口」と「コミュ症」と「人見知り」という分類が分けられてるみたいなので少し詳しく書いてみたいと思います。

言葉を発せられないひとの種類

無口

なかなか言葉を発すことのない人。もしくは口数の少ない人。

どちらかと言うと「言葉」というよりも「文字」などで伝えるのが上手、違う表現の仕方をして一躍を担うこともある。

まわりからは「冷たい」とか「おとなしい」という表現を持ちがちだが、本人は「誰か隣にいて欲しい」という気持ちを持っている。

コミュ症

無口よりも感情が前に出てくるけども「言葉」として感情を表せなくて口数が少ない人のこと。

言葉数が少なくてもわかる人がいると嬉しい。その人に寄り添うことが多い。

本人としては色んなことを話したいため「文字」や「イラスト」などとビジュアル的に伝えるのが上手いひと。

人見知り

普段どおりに言葉を喋ることができるけども、初めての人や「人という概念が怖い」という人が多い。

目を合わしながら喋れないので、まわりからそっぽを向いているように見られがちだが、本人は「恥ずかしい」とか「目をみるのが怖い」というだけなので褒めてあげると心を許してくれる。

言葉を発するのが苦手なだけ

計算が苦手なように、言葉を発するのが苦手な人というのはいるものです。何も考えずに使っているようで「ことば」というのはかなりの高等技術ですし表現が苦手というのも不思議ではないこと、自分は「無口」だからって悲観に考えなくても大丈夫。何かしら得意なことを探して表現すること、それが「文章」だったり「絵・造形」だったりする訳です。

書籍で気になるものがあるなら買えばいいじゃない。

本屋とかでうろついているとタイトルとかで気になっていくものがある。例えば「メモの収納術」とか「記憶の管理の仕方」などと足を止めてしまう内容というものは誰かしらあると思う。実は足を止めてしまうというのは「自分に足りないもの」を脳内反射的にこの情報が欲しいと呟いてるから。

自分に足りない情報

目標としてはこうしたい。こうなりたい。だけども方法がわからない、向上する方法を知らないので放置している。しかしどうするべきなのか…と葛藤している状態なので薬と同じく対処するように本を読むことで、似たような境遇の人。それを超えた人(師匠・先輩)などから生きていく術を入手していくのが近道です。

どうしても合わないもの

話が堅苦しいとか、ビジネス向けで専門学的だったりと難しいものもある。パラっと読んで難しいなぁ、そういう情報を取り入れたい訳ではないと思ったらキッカリ止めれば良いと思う。

ものの見かたというのは十人十色、千差万別と違っており話のズレが生じてしまうのは仕方ありません。

足りないモノはメモする

私なら「記憶の収納術」とかでしょうか。

いつか欲しい情報が出てきたときにこうだったのか!!と思えるようにメモをしておく、そしてメモしたツールを発掘するような感じで見返すのでもいいから目を通しておく。それだけでも欲しかったもの、未来に残すことによって当時の自分にはできなかったことをできるようになっているでしょう。

身に染みるような寒さ

大寒の如くひえひえとつづく日ですが、身体を芯から温めてほかほかしていきたいです。

こうやって日記を書くのも一週間ペースになってるのがちょっと惜しいです。寒さだったり睡魔だったり。それともイベントの周回などで時間を奪われてしまうと執筆するのも億劫になって結局、休みのある休日に呟いてみるというペースになってます。ブログにも予約投稿という機能で如何にもこの時間まで書いてました!!という時間を騙せる機能があるのですが、なるべく使わずにできたてホヤホヤな文章を週2〜3回で残していければと、

大人の語彙力UP

最近話題なのは大人の語彙力アップみたいなので、このような言い回しはカッコイイ!!という本が多く出回ってます。少し読んだのですが、このような自己啓発本を買うならば、気になった小説を買って気になった言い回しや単語を辞書で引くほうが様々な書き方、話し方ができるような気がします。

というのも読んだ本の一文で「この商品を値下げしてよ!」という言い回しを「この商品を勉強してよ!」という言い回しに変える。(勉強というのはモノを安くするという意味もある)説明をしていて。語彙力UPするというよりはお寿司屋で「お愛想お願いします」みたいに変な日本語を取得してしまうのではないかと思いました。

語彙力というよりは、丁寧な言葉や矛盾しないような言い回しを取得することが大切な気がしますね。語彙力というのは本(小説)を読めば自ずと力になってゆくものですから。

またもや積雪予報

寒気があれば降るのが雪です。一週間前の雪はスキー場のようなさらさらとした状態でしたので直ぐに次の日に溶けて影響は無かったのですが、また月末と1日にかけて雪が降るらしいですね。日陰になってたり雪の山にしてるところが未だに溶けないのでなるべくは降ってほしくはないのですよね。雪よりも暖かな春が恋しいです。

言霊と自分の伝えたいこと。

記事を多く書いたり惹かれるようなタイトルを書かないのでこのブログの流入数は1記事で20人程度(ほぼソーシャルメディア)です。コンテンツを絞っていない日記なので、この程度でしょう。

だいたい1記事を書くのに1時間はかかってしまいます。
自分の話したい言葉を考えながら感覚で書いて入力していき、同じような言い回しを使わないようにしたり、語尾が著しく変わっていないか確認したりと添削するのでソーシャルメディアの投稿のように直ぐに内容を書けるというのは難しいです。

ブログで何を伝えるべきか

ブログを書こうとしてやっぱり書かずに置いておこう。書いたけども単なる面白みのないことを綴っている内容が沢山ある。大体は近々で起こったこととか愚痴のような好評や批評などと語ってはいるが、書いてて楽しくない嫌悪感を抱いてしまってだるくなってしまうことが多々あります。

好評や批評・レビューというのはユーザーを引き寄せるには良いものですが、好転的な意見・悪化するような内容一個一個に敏感になってしまい精神的にも影響を受けてしまうということが最近わかりました。

言葉は言霊になりやすいというのはこういうことなんでしょうね。

自分の追い求めるもの

自分が追い求めるものとしては、自分の世界観を言葉やイラストで共有したい、小さなことだけども誰かの手助けになれば良いという意識を続けています。楽しいことは楽しい。辛いことはつらい。と言いたくなるような子どものような世界です。

ただ、ファンタジーな世界観を隅から隅まで綴るというのは難しいものでしょうし曖昧な設定だと前半良くても後半がふわふわして足がついてない状態で完結と後味の悪いストーリになってしまいます。だから自分の世界を語れる人というのは誇らしいと思ってます。

そんな人間になりたいかと言うとなりたいですし一総として制作したい気持ちはあります。ですが自分に足りないものとして、「終始をつくるのは上手いものの、中身がスッカスカ」な肉付きのない骨の基礎建築ということが問題です。話は面白いのに結果を早々と伝えたくなってしまい内容としては意味のわからないストーリになっている。途中で話の論点が変わりやすいことが欠点でしょうか。

次につなげたいこと

だれが閲覧するかわからないけども自分の妄想を言葉にしてストーリにしてみるのもよい試みかもしれませんね。この記事を書くまではなにか書いてよいものだろうかと突っかかった気持ちがありましたがスッキリしました。

自分が思ってる言霊。言えないことを言ってみるといいかもしれません。

買った本はどうする?

買った本は大事には保存するけど割りと一度読んだら満足してしまうことがある。捨てるにはもったいないので本棚にいれるけどもいつの間にか褪せてたり、入れ方が悪かったりして一部がペチャンコになってたりしてあ〜あという気分になる。ただもう一度よみたい。悩んだときのアイデアとして持っているというのが自分の本に対する扱いとなっている。

ぺちゃんこになった本

読みっぱなしで放置してた本を踏んづけちゃったりして変に折れちゃう。漫画本だとしてもやっぱり読みにくくなってしまってしょんぼり。とはいいつつ再び購入する!とはいかず、そのままのことが多いです。

紙なのである程度直して重いものを乗っければ折り目が治るときもありますが、なかなか難しいものですよね。本は大事にしたいもの。

本をよむタイミング

気になって買ったは良いものの。なかなか読むタイミングがつかめなくて本が溜まってゆく積読。なぜ積んでしまうのかというと自分の足りないもの、好きなものを取り入れたいから。だけどもお仕事や家事などで休息を取る時間がない。だから本を読めないことが多々あります。

つくるとしたら、お風呂上がりとかの時間がベストなんでしょうかね?身体がホカホカしてさっぱりしてる時間って、何か集中できていい気がします。それでも人それぞれなので自分の時間を探してみるといいかもです(o・ω・o)