自転車を漕いでた時に財布を落とした件

発端

いつかは自分も落とすのではないかと思っていたのですが、昨日。ついに落としてしまいました。最初はポケットに財布を入れ忘れて自宅を出たんじゃないかと思っていたのですが…。自宅に戻っても置いたと思われるところになくやってしまった…と辛い気持ちに。クレジットやら銀行のキャッシュカードを止めなきゃ。そういや保険書も入っていたなぁ…再発行手続きもしなければと色々考えてしまって精神的に病んでしまいました。

ダメ元で交番に届いてないかと思い、自転車で漕ぎつつ来店。紛失届を書くところで…、あぁ届いてないんだなぁ。これは仕方ないなぁと思いながらも無くしたものを自分の手で一筆。見つかってくれれば良いだろうと願いながら書き終えると。

「実は届いているのだが…」

担保(証明)の為にも無いように確認させていただいた。ただ、証明できるものが無いと渡せない。そりゃそうだよね…。一番の証明できる保険書も財布の中だとどうしようもない…。免許書も持っていないしパスポートはとっくに期限が切れている。

後日に住民票でも良いですが…と一言つぶやくと、やっぱり今日中に渡したいよね。と警察さんの一言。親御さんはいる?特例で「免許書と保険書」を確認いただければお渡ししましょうと、その言葉に御礼をしながらも親御に電話。中身も抜かれず無事に自分のもとに戻ってきたという訳です。

拾ってきた方に感謝

普段は戻ってこないものです。落としたらなくなるもの、消えてなくなるというのが一般的な考え方。そんな中で大切な時間を使いながらも財布を届けてくださった。感謝の言葉もいらないという慈愛を持ち合わせていらしゃったことに頭もあがらないです。

財布が戻ってきて良かったです。今度から落とさないように反省したいですね。

モノクロ

真っ白に真っ黒を重ねるモノクロ 

デザイン的には良いのですが文字を読むときに読みにくいというご法度を気づかず続けていたので修正しました。とはいっても白に少し色味をつけただけなのですけどもね。

黒板

本を読んだりWebコンテンツを探るときのバックグラウンド(背景)は白地が多かったりするのに、いざ書こうとするときに黒の下地に白の文字の方が執筆する時に疲れなかったり、文字の間違いに気づきやすいという利点があったりします。

もしかしたら白地で読んでいる本も、黒く背景で読んだら読み飛ばしていた物事も気づくことになり面白みが増すのかもしれません、推理小説のトリックみたいな感覚ですね。

映画

暗闇でみる映像。それが映画。
自宅で明るくディスプレイでみるよりも、暗く大きなスクリーンで見たほうが目の前に襲ってくるという臨場感を味わうことが出来ますよね。

黒には引き締めるという効果

黒には引き締めるという効果があるので、見せたいものを中央において縁を黒くすると物を強調させ集中することができます。普段使っているものだとテレビのモニターとかかな?

趣味は「ゲームすること」と、答えることができるか

ゲームの試合に勝利して幸せを感じることはあるけども、幸せを感じるためにゲームをすることはあまり好ましくないよね。

スプラトゥーン

いろんなソーシャルゲームやネットゲームを嗜んでいるのですが「勝利した優越感」というのを得たいが為に時間を割いてプレーをしちゃう。すべてが自分の思い通りに行くわけでもなく、失敗したり負けることもある。それが八つ当たりやストレスの原因にも変わってしまう。ここでは諦められないとゲームを続けてしまうことは精神的にも時間的にもよろしくない。

ただ、続けることによって「実力」というのは増えてゆく。ゲームを嗜むことで壁だったものが超えられることができる。経験というのは実力と同意義であり遊び倒すというのも悪い意味ではない。言えることは「趣味はゲーム」ということにできるか、他の趣味や娯楽を捨てることができるかだと思う。

一般的な「釣り(フィッシング)や アウトドア」が「ゲーム」に置き換わっただけで他の趣味とはなんら変わりはない。ただ導入のしやすさ自宅で行動できてしまう楽な考えから、誰でもゲームにめり込んでしまう中毒性があるということ。次から次へと挑戦してしまう追求心があるからだ。

ゲーム以外にやりたい趣味があるならゲームをすることはあまりオススメはしない、他にすることがないならゲームをたっぷり追求すればいいのである。

ゲームをやめたい

自分は他にも趣味を持っている。「読書」本を読むことも趣味だ。
外で行動するアウトドアなものが趣味と捉えがちだが、そういうわけではなく家の中でゆっくりと行動するインドアなものも趣味である。机を作ったりするD.I.Yも、人にとっては趣味ということになりうる。

もともとあった自分の趣味を犠牲にして「ゲームをすること」というのは本当に良いことなのか。その場の「優越感」を得たいがために仕方なく遊んでいるのではないのか?私はそう思ってしまう。

趣味をすることの時間は有限である。

その時間をどのように割くかによって「実力」というのは蓄積されていく。RPGでいうスキルのようなもの。読書をすれば知識が増え、D.I.Yをすれば技能が増える。特化したスキルというものは人にも尊敬されやすいし、それも優越感として帰ってくる。コストをどのように調整するかによって他人とは違う存在になることができるのではないのか。

断捨離

ついついゲームに手を伸ばしてしまうのであれば、物理的に無くせばよい。すぐに起動できてしまう環境があるからこそゲームをするのであって不便な状況を作れば自ずと「面倒くさい」と思う心が出来てゲームをすることに楽しみを感じなくなるはずである。

私も優越感を得たいがためにスプラトゥーンを楽しむことに半日。いやまるごと一日とゲームをすることに廃人になってた時期があるが、ずっと続けているとどんどんと知識が薄れ頭がおかしくなってゆくように感じになり。自尊心的にもおかしくなりそうと思い、WiiUのコンセントを抜き、倉庫の目のつかない取りにくい場所において違うことに趣味を置こうと考えた。それが良かったのかプレーをすることもなく違うことに趣を置けたのである。

信じられないと思うが「目から遠ざける」だけでも意識の違いは変わる。つい眼の前にあるから遊びたくなってしまうのである。快感だけの為なら「断捨離」したほうがオススメだ。それが辞めたいのであれば尚更である。

ゲームをすることは

「ゲームをすることも趣味」である。言えるのは中毒性が高いということ。それを押しのけてまでゲームをしたいかは人それぞれ、趣味は考えて「やりたいことをやる」というのを意識して行動をしたほうが良いのかもしれない。

ぐっすりと寝ること。

(科学的根拠および研究した内容ではないのであくまで個人での推察ということをご了承おねがいします。)

睡眠(ねること)

睡眠というのはパソコンで言う記憶の上書き保存。一日の記憶を脳という保存領域に書き込むための処理行動であり、寝ることによって忘れないようにファイルをつくることである。

レム睡眠(浅い眠り)

動画や録音をしたあとに「処理中」という文字を見たことがあるだろう。目からみた記憶、耳から聞いた記憶を、録画録音した内容として保存している時間である。ニューロンが活性化することによって夢を見たり、身体の機能がゆっくりとスリープします。

ノンレム睡眠(深い眠り)

身体がスリープして、メモリー(一日の記憶)を初期化している時間。脳はひっそりとレム睡眠で保存した内容を種類別に(1)人によって時間でわけるか出来事でわけるか変わってくるカットし振り分ける時間。シナプスを生成(ファイルへの通り道)し脳にとって解りやすくメモをとる時間である。

寝ない人は工事する時間やファイル時間が少なく記憶をメンテナンスできない。記憶への舗装もガタガタになり忘れてしまうなどの状態ができてしまうのである。

記憶の整理

記憶というのは「モノ」
考えることは「モノを取りに行く道」

舗装されていればすぐに思い出して取りに行くとができる。時間が経つことによって舗装された道もガタガタに、忘れる前に記憶することによって舗装されたり、床→私道→県道などと(神経細胞の)規模が膨大になるのである。

一夜漬けか、何度も復習することか

それを踏まえると「一夜漬け」というのは新品な道。通りやすく記憶に直結しやすい。寝ずに一夜漬けでも点数取れるよという人は道を作るのが上手な方です。

それとはべつに「何度も復習する」というのは、道の規模を大きくするということであり。繰り返し勉強することによって通りやすくアクセスしやすい状態に変えることができます。

寝なければ記憶は保存されない

勉強しても睡眠しなければ記憶はされませんし、覚えてたことも舗装されずに忘れることになります。ぐっすりと寝ることによって、「脳にも身体にもよい一日」を作ることでしょう。そして保存された記憶の結びつきが、ひらめきのキッカケになって新しいものを産むことができるかもしれません。

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1. 人によって時間でわけるか出来事でわけるか変わってくる

勉強とボキャブラリー

 シスター

仏教の説経やキリストの説教を踏まえて人生とは何か、迷える子羊の為に助言をさしあげるお坊さんや神父さんって凄いと思う。自分でも「困っている人を手助けをする」という精神は強いのだが、最後まで見守ってあげられるようなボキャブラリーを合わせておらずギクシャクとした気持ちになってしまうことが多い。「経験は力」とは言ったもので様々な知識を長年取り入れている人のほうが知識も豊富になるってこと、知識を表顕せず頭の中の引き出しにいれて、『ここぞ』っていうときに披露できる人のほうが格好いい。

勉強とは「自分の生活していくための知識として取り入れるもの」だと。高校・大学まで勉強したからそれでいいやと止めてしまうのではなく「好きなもの」を追求してみる。歴史なら戦国時代の武将が大勢いるが、有名なのは「織田・豊臣・徳川」と教科書にも3人が戦国時代を統括したとは書いてある。しかしその当時に領地を制圧してたのは「細田」「上杉」と名前を聞いたことあるけど事情の知らないことがあるだろう。そういうときは詳しく説明している本や専門書をよみながら「勉強」して、さらなる向上心があるのであればお城にいき現地で「追求」する。これが正しい勉強だと私は思っている。

別に他人と一緒になることはない。変わった考え方もあれば他の人にはなかったアイデアも出すことができるだろう。ただボキャブラリーを増やすには自分から行動をして勉強をするしかない。大人になったからやめるのではなく、大人になったからこそ自由な行動や発見できるのだと。