ぐっすりと寝ること。

(科学的根拠および研究した内容ではないのであくまで個人での推察ということをご了承おねがいします。)

睡眠(ねること)

睡眠というのはパソコンで言う記憶の上書き保存。一日の記憶を脳という保存領域に書き込むための処理行動であり、寝ることによって忘れないようにファイルをつくることである。

レム睡眠(浅い眠り)

動画や録音をしたあとに「処理中」という文字を見たことがあるだろう。目からみた記憶、耳から聞いた記憶を、録画録音した内容として保存している時間である。ニューロンが活性化することによって夢を見たり、身体の機能がゆっくりとスリープします。

ノンレム睡眠(深い眠り)

身体がスリープして、メモリー(一日の記憶)を初期化している時間。脳はひっそりとレム睡眠で保存した内容を種類別に(1)人によって時間でわけるか出来事でわけるか変わってくるカットし振り分ける時間。シナプスを生成(ファイルへの通り道)し脳にとって解りやすくメモをとる時間である。

寝ない人は工事する時間やファイル時間が少なく記憶をメンテナンスできない。記憶への舗装もガタガタになり忘れてしまうなどの状態ができてしまうのである。

記憶の整理

記憶というのは「モノ」
考えることは「モノを取りに行く道」

舗装されていればすぐに思い出して取りに行くとができる。時間が経つことによって舗装された道もガタガタに、忘れる前に記憶することによって舗装されたり、床→私道→県道などと(神経細胞の)規模が膨大になるのである。

一夜漬けか、何度も復習することか

それを踏まえると「一夜漬け」というのは新品な道。通りやすく記憶に直結しやすい。寝ずに一夜漬けでも点数取れるよという人は道を作るのが上手な方です。

それとはべつに「何度も復習する」というのは、道の規模を大きくするということであり。繰り返し勉強することによって通りやすくアクセスしやすい状態に変えることができます。

寝なければ記憶は保存されない

勉強しても睡眠しなければ記憶はされませんし、覚えてたことも舗装されずに忘れることになります。ぐっすりと寝ることによって、「脳にも身体にもよい一日」を作ることでしょう。そして保存された記憶の結びつきが、ひらめきのキッカケになって新しいものを産むことができるかもしれません。

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1. 人によって時間でわけるか出来事でわけるか変わってくる

本を蓄えて好きなときに食べる

オフィーリア

Google Home で「雨の音」を聴きながらぐっすりと寝ている黒姫です。

最近は読みたくなる本が多くてどんどんと買っちゃうような気分となってますが、本にかける投資はどんな赤字でも購入しよう!とする意識は大切にしてます。本に出会って立ち止まるということは自分に足りないものを補ってくれる、今までの考えを更に向上させるもの。自分でゆっくりと考えることも大切ですが、本を読むことで考え方の近道を示してくれるアイテムだと思ってます。なのでどれだけ赤字でも「出会ったものには手を取る」という行動は大切にしてるのです。

そして、買ったものは好きなときに読む。寂しいときは温かい友情なもの。暑いときはホラーな心がヒヤッとするもの、向上心が欲しいときは啓発本を読んで勉強をする。たんなる文庫や単行本かも知れないけど、考え方や言葉の使い方・新たなニュアンスを真似る土台となるでしょう。読書というのは無理して読まないということが肝心だと思います。

本を読んだら、良かったものをメモに取る。アナログでも良いしデジタルでまとめても大丈夫、自分が小説の中の主人公(ヒーロー・ヒロイン)だとして心に響いたもの、作者は何を伝えたかったのかを知ることが読むことの楽しみ(推察)でしょう。同じ本を読んだとしても答えは様々です。「主人公とサブキャラの絡みが良かった」という人もいれば「シリアスな展開が心に響いた」という人もいる。「探偵のように黒幕はこの人だろう」と追求しながら読む人もいらっしゃいます。とにかく自分の読み方で感想を述べることが大切なのです。

勉強とボキャブラリー


 シスター

仏教の説経やキリストの説教を踏まえて人生とは何か、迷える子羊の為に助言をさしあげるお坊さんや神父さんって凄いと思う。自分でも「困っている人を手助けをする」という精神は強いのだが、最後まで見守ってあげられるようなボキャブラリーを合わせておらずギクシャクとした気持ちになってしまうことが多い。「経験は力」とは言ったもので様々な知識を長年取り入れている人のほうが知識も豊富になるってこと、知識を表顕せず頭の中の引き出しにいれて、『ここぞ』っていうときに披露できる人のほうが格好いい。

勉強とは「自分の生活していくための知識として取り入れるもの」だと。高校・大学まで勉強したからそれでいいやと止めてしまうのではなく「好きなもの」を追求してみる。歴史なら戦国時代の武将が大勢いるが、有名なのは「織田・豊臣・徳川」と教科書にも3人が戦国時代を統括したとは書いてある。しかしその当時に領地を制圧してたのは「細田」「上杉」と名前を聞いたことあるけど事情の知らないことがあるだろう。そういうときは詳しく説明している本や専門書をよみながら「勉強」して、さらなる向上心があるのであればお城にいき現地で「追求」する。これが正しい勉強だと私は思っている。

別に他人と一緒になることはない。変わった考え方もあれば他の人にはなかったアイデアも出すことができるだろう。ただボキャブラリーを増やすには自分から行動をして勉強をするしかない。大人になったからやめるのではなく、大人になったからこそ自由な行動や発見できるのだと。

自分が思う「慈愛の精神」

否定的なことを討論する人は沢山いるけども、肯定的なことを討論する人は少ない。他人の不幸は蜜の味とも言ったところか、他人を思う慈愛の精神というのは限られた人が持っている特別なもの。

ところで慈愛の精神ってなんだろう?と思う人も多いだろう。簡単に言えば「自分が愛されたければ他人も愛しなさい」ということ、自分が幸せになりたければ困ってる人を助けなさい。そしたらいつか自分が困ったときに誰かの助けがくるでしょう。否定的なことを考えてる人には幸せなことは起きませんよという言葉です。

他人を恨めば、自分が恨まれる。他人を否定すれば自分にも戻ってくる。
人生というのはそういうものです。

ただ、「自分が幸せになりたいから他人を助ける」というのは慈愛の精神とは違うものです。よく勘違いされるのがボランティア「心の中で目立ちたいから」「協調したいから」とか「苦労を感じたい」が為に参加をする人が多々います。面白半分で参加するというのはそれは自分自身に快楽を求めたい(楽しみが欲しいがため)でしょう。とはいえ「キチンとした心前」で参加するのであれば、それは仏教的な思想「慈悲深い」苦しみを楽しみに変えて幸せにしたいという思想にもなるかもしれませんね。

慈愛とは「自分から幸せにはなってはいけない」愛情を振りまいていれば後から「他人から幸せをくれる」ということ。そして、この気持ちを心がけてると心が豊かになるものです。

こだわりのサイクル

何かに意識をしてしまうとそれが気になって毎日・毎時と見てしまう。楽しみや嬉しさ好奇心が欲しいだけで実際のところ集中出来なかったり一途にものを見てしまうだけでデメリットが大きい。変なこだわりを持ってしまうというのは「変化のない同じことを繰り返す」「まわりのことばを気にしてない」というのが要因。

「こだわる」ということが悪いわけではない。陶芸品をつくる巨匠やさかなクンのような専門家などと一つのものに貫き通す努力をする方もいらっしゃるのである。では、彼らとは何が違うのか?

それは「こだわりのサイクル」が違うからである。

まずひとつのことにこだわる。前回と同じことだとしても一途にこだわり。もう成長が見えなくなったら諦める。そして新しいことに挑戦するというのが「一般的なこだわり」

ひとつのことにこだわりながらも新しいことを取り入れて挑戦しつつ欠点をどう補っていくかを追求していくのが、「匠や専門家などのこだわり」の考え方かもしれません。

少し考え方が違うだけでも、成長の速さは雲泥の差。自分のしたいことを考えながらも新しいものに目を向けて情報を発信することが大事だと思います。