ことばの積み木

文豪のエッセイのように1日400文字くらいで綴れれば良いとは思うのですが、なかなかそういうわけにはいかず、ものを書かずに一日を過ぎてしまうということに哀愁を感じるのです。

普段の生活をおもしろおかしく書いたり、描写的に書くというのは理解ってても難しいことです。大体の人は自分にあったことをそのまま表現してしまうので実際での読み手からしたらモヤモヤした状態で話が進んで、どの言葉が強調されているのか判らずに新たな言葉が登場してゆく自分だけの文章になってゆくのです。

言ってしまえば「積み木」のようなもの。四角のような角ばった表現があれば三角のように尖った表現もある。丸のような柔らかい表現は優しいイメージはあるかもしれないけど三角や四角などを使うときにはどうしても隙間が出来てしまう。その隙間がモヤモヤした表現があるということなのです。

もやもやした表現をどうしたら解消できるのかというと、角っこが丸くなっているような積み木。変わった表現をしてみるのが文章に味を持たせることができるポイントだと思います。

例えば「積み木でお城」を作ろうとするとき「とある某国、1800年続いた歴史のあるこの由緒あるこのお城に存続の危機が生まれた…」と角ばった表現もあれば「死闘の末、守ってきたが防衛は崩れ痛々しい傷が増えてく一方…」のような心にのこるような尖った表現。「BABY、それは赤ちゃん。今まで築いてきた文明を壊す無邪気な存在、何でもかんでも壊しちゃう」のような柔らかい表現にアクセントを加えた言葉などを組み合わせることによって面白みを伝えることができます。

とは言っても文章をうまく構築していくのは難しいので積み木のように「機関車作りたい」「お城をつくりたい」「動物園にしたい」などと伝えたいことを最初に決めておくのが上手になる言葉のエッセンスだと思います。

無口とコミュ症と人見知り


「話し下手と文字を書くこと」- 黒姫のお絵かき帳
実は2年前に「話し下手と文字を書くこと」という記事で無口な人は何故無口なんだろう?という記事を書いていたのですが。最近、言葉を発せられない人の中にも「無口」と「コミュ症」と「人見知り」という分類が分けられてるみたいなので少し詳しく書いてみたいと思います。

言葉を発せられないひとの種類

無口

なかなか言葉を発すことのない人。もしくは口数の少ない人。

どちらかと言うと「言葉」というよりも「文字」などで伝えるのが上手、違う表現の仕方をして一躍を担うこともある。

まわりからは「冷たい」とか「おとなしい」という表現を持ちがちだが、本人は「誰か隣にいて欲しい」という気持ちを持っている。

コミュ症

無口よりも感情が前に出てくるけども「言葉」として感情を表せなくて口数が少ない人のこと。

言葉数が少なくてもわかる人がいると嬉しい。その人に寄り添うことが多い。

本人としては色んなことを話したいため「文字」や「イラスト」などとビジュアル的に伝えるのが上手いひと。

人見知り

普段どおりに言葉を喋ることができるけども、初めての人や「人という概念が怖い」という人が多い。

目を合わしながら喋れないので、まわりからそっぽを向いているように見られがちだが、本人は「恥ずかしい」とか「目をみるのが怖い」というだけなので褒めてあげると心を許してくれる。

言葉を発するのが苦手なだけ

計算が苦手なように、言葉を発するのが苦手な人というのはいるものです。何も考えずに使っているようで「ことば」というのはかなりの高等技術ですし表現が苦手というのも不思議ではないこと、自分は「無口」だからって悲観に考えなくても大丈夫。何かしら得意なことを探して表現すること、それが「文章」だったり「絵・造形」だったりする訳です。

書籍で気になるものがあるなら買えばいいじゃない。

本屋とかでうろついているとタイトルとかで気になっていくものがある。例えば「メモの収納術」とか「記憶の管理の仕方」などと足を止めてしまう内容というものは誰かしらあると思う。実は足を止めてしまうというのは「自分に足りないもの」を脳内反射的にこの情報が欲しいと呟いてるから。

自分に足りない情報

目標としてはこうしたい。こうなりたい。だけども方法がわからない、向上する方法を知らないので放置している。しかしどうするべきなのか…と葛藤している状態なので薬と同じく対処するように本を読むことで、似たような境遇の人。それを超えた人(師匠・先輩)などから生きていく術を入手していくのが近道です。

どうしても合わないもの

話が堅苦しいとか、ビジネス向けで専門学的だったりと難しいものもある。パラっと読んで難しいなぁ、そういう情報を取り入れたい訳ではないと思ったらキッカリ止めれば良いと思う。

ものの見かたというのは十人十色、千差万別と違っており話のズレが生じてしまうのは仕方ありません。

足りないモノはメモする

私なら「記憶の収納術」とかでしょうか。

いつか欲しい情報が出てきたときにこうだったのか!!と思えるようにメモをしておく、そしてメモしたツールを発掘するような感じで見返すのでもいいから目を通しておく。それだけでも欲しかったもの、未来に残すことによって当時の自分にはできなかったことをできるようになっているでしょう。

言霊と自分の伝えたいこと。

記事を多く書いたり惹かれるようなタイトルを書かないのでこのブログの流入数は1記事で20人程度(ほぼソーシャルメディア)です。コンテンツを絞っていない日記なので、この程度でしょう。

だいたい1記事を書くのに1時間はかかってしまいます。
自分の話したい言葉を考えながら感覚で書いて入力していき、同じような言い回しを使わないようにしたり、語尾が著しく変わっていないか確認したりと添削するのでソーシャルメディアの投稿のように直ぐに内容を書けるというのは難しいです。

ブログで何を伝えるべきか

ブログを書こうとしてやっぱり書かずに置いておこう。書いたけども単なる面白みのないことを綴っている内容が沢山ある。大体は近々で起こったこととか愚痴のような好評や批評などと語ってはいるが、書いてて楽しくない嫌悪感を抱いてしまってだるくなってしまうことが多々あります。

好評や批評・レビューというのはユーザーを引き寄せるには良いものですが、好転的な意見・悪化するような内容一個一個に敏感になってしまい精神的にも影響を受けてしまうということが最近わかりました。

言葉は言霊になりやすいというのはこういうことなんでしょうね。

自分の追い求めるもの

自分が追い求めるものとしては、自分の世界観を言葉やイラストで共有したい、小さなことだけども誰かの手助けになれば良いという意識を続けています。楽しいことは楽しい。辛いことはつらい。と言いたくなるような子どものような世界です。

ただ、ファンタジーな世界観を隅から隅まで綴るというのは難しいものでしょうし曖昧な設定だと前半良くても後半がふわふわして足がついてない状態で完結と後味の悪いストーリになってしまいます。だから自分の世界を語れる人というのは誇らしいと思ってます。

そんな人間になりたいかと言うとなりたいですし一総として制作したい気持ちはあります。ですが自分に足りないものとして、「終始をつくるのは上手いものの、中身がスッカスカ」な肉付きのない骨の基礎建築ということが問題です。話は面白いのに結果を早々と伝えたくなってしまい内容としては意味のわからないストーリになっている。途中で話の論点が変わりやすいことが欠点でしょうか。

次につなげたいこと

だれが閲覧するかわからないけども自分の妄想を言葉にしてストーリにしてみるのもよい試みかもしれませんね。この記事を書くまではなにか書いてよいものだろうかと突っかかった気持ちがありましたがスッキリしました。

自分が思ってる言霊。言えないことを言ってみるといいかもしれません。

絵を描いてて楽しいことつらいこと

最近はラフという下絵と言う状況でイラストを描いて満足している。
というのも「楽しい」というところで止めてしまって「つらい」という作業までしていないのが要因である。色を塗るという作業は思うよりも大変で例えるならイライラ棒を挑戦してるような感じである。

ラフ

紙に鉛筆で描くとする。この時は「どう可愛くしよう」と想像するように描いており自分が思う仕草や格好ができると「楽しい」という気持ちになり満足する。

線画

ここから重要な線を抽出する。
黒い線をなぞるようにペンタブで線を作っていく。感じで言えばイライラ棒のような集中力のいる作業。

色塗り(着色)

ある程度線画がシッカリしていれば塗ることはそれ程、苦ではない作業。
イラストの見栄えがしっかりする重要なことである。
半日で出来るものがあれば、背景をしっかりすれば1週間かかることも。

今後の気持ち

上手くできれば色をぬることも楽しい。ただ時間と評価を考えると新しいものを描いてた方がすぐに終えて楽に感じる。どこに努力を置くかによって上達は変わってくるし頑張りたいと思う。