ノートにメモをとるということ

人間の記憶というのは意外に短く頭の中で記憶しておこうとしても、違うことをしていれば5分以内に忘れてしまうという。
せっかくひらめきで良いアイデアをだしたのに、忘れてしまうのはもったいない。何時出てくるアイデアに対処するためにも私はノートを持っていく。

ノートに書くことといえば別に文章にしなくてもよい。「単語」だけだったり「図形」でアイデアを残しておくのもOK。見返してわかりやすいノートを心がけるということが「ノートでメモ」の醍醐味なのです。

どのようにメモをとるのか

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大きすぎず小さすぎずなノートがよくて、おすすめするのが「A5のリングノート」おそらくFamilyMartで売っている無印良品のリングノートが100円でコストパフォマンスがよい。リングノートをオススメする理由として「めくりやすさ(メモを取ることに苦痛を与えない)」とか「破りやすさ(いらなくなった情報を断捨離する)」などと色々と普通の大学ノートよりもメリットが高いのです。

もしかしてこの記事をみて実践したいと思ったら。そのリングノートの右端や左端を3cm片方開けて縦線を引いておくと便利になるかも。何をするのかというと別になんでも書くことは良くて「メモの中のメモ」として使う。日付や本文には追加できないことなどを書くスペースとして使うことで見やすさUPも狙っております。

私の場合は、いつも使うけど実際使うときに意味の分かりにくい漢字のことばなどを書くスペースとして使っております。

メモを取るということはひとつのポエム

言ってしまえばメモもひとつのポエムです。
自分のあったことを思い出すツール、そのときの日常を表すための日記として書く、こどもの時のなつやすみの絵日記みたいに思い出として残るようなメモを残すことが記憶のため。過去を振り返るためのツールとして使うと人生も変わるかもしれません。

まずは「急にひらめいたこと」だけでもメモを残しておくと面白いかもですね。

日記とゆめにっき

レビューや広告塔、まとめサイト以外で「日記」を使っている人は少ない。

人間というのは「楽してお金を集めたい」か「人気になりたい」のどちらかに偏ってるからである。とは言っても自己にあったことを話しているブログというのはアイドルや芸能人、一般に触れられない人物というくらいしか人気がない。一般人が呟いても過去をふり返るための日記帳としての役目ぐらいしかないのである。

ただブログというのは、アナログな日記帳よりも修正が利きやすいし、言葉を紡ぐのが楽なので、私はブログという立場は好きであり一部の人が共感・手助けになってればよいくらいの気持ちで書いている。

ゆめにっき

ねむねむ

そういえばそういうタイトルのゲームがありましたっけ、今日はそのゲームのことではなく「ゆめで覚えてることを日記にする」ゆめにっきということを呟いてみたいと思います。

夢というのは不思議で「終始憶えてること」と「起きたら忘れてる」の2つがありますよね。終始憶えてるのはいつに経っても遭ったような記憶で憶えており、起きたら忘れているのは気にならずそのまま、夢をみたけど何だっけ?ということが多いです。

とはいいつつ夢に登場する時って客観的なことが多く、他人からみた自分自身だけども他人じゃなくて、これは自分だなという不思議な感覚を得ることができます。ただ性別が違ったり昔の自分だったりするのが、ゆめの面白いところでありIFストーリとして楽しめますよね。

ところで、ゆめをメモるというと自分の世界観が解らなくなる。本当かウソか判断できなくなる。メモを取ろう取ろうとして寝てる時にも伝達してしまってレム睡眠にならず眠れないというデメリットがつきものであるといいます。

自分の世界観

いわゆるメルヘンやファンタジーといった。一般人とは違う雰囲気を醸し出す現象、酷く言えば頭がお花畑な状態とも言ったほうが良いだろうか、別にこの世界観が悪いわけではないし自分自身も妄想を膨らませられるような世界観を持っている。童話作家(アンデルセンやルイス・キャロル)なども、もしこのような世界観があったら楽しいんだろうなということ、ただこういう脳を持ってる人というのは特殊であり一般人が挑むと精神が狂って鬱になってしまう事例もあるから、夢というのは脳の整理の過程で生まれるというもの。昔あったこととか最近のこと、そして妄想したものを取捨選択(お掃除)しているときに実際に行動しているように見せているものであるから、メモを取ってしまうと「昔のこと、今のこと、妄想」が変に紐付いてしまい真偽を判断できなくなるのでしょう。

見た夢を偽り(別の世界線(パラレルワールド)と思えば、自然だけども不自然な世界。現実世界とは程遠いけども記憶の片隅にあるもの。という気持ちでいられるのだと思います。

ゆめは残すべきか残さないべきか

楽しい夢。自分が活躍した夢。実はこういう性格だったのではないかと秘めている夢であれば残しても良いのではないかと推測してみます。

自分はこういう性格だった

ゆめの中での自分。自分であろうものというのは生活してて表面として出てこないもの、もしくは子どもの時とは違う性格だったIFの世界の自分があらわれたものであり、それは別の人格が居るって言うことです。実生活は大人しいけども夢の中ではスポーツをしたり登山をしているなどと経験したことないけどもその遊びをしているということは「実はそうしたい」という気持ちの現れなのでは無いでしょうか?

全て夢を残さなくても楽しかったことは断片的にも残しておくと面白いかもしれませんね。

見返して嫌悪を感じるようであれば削除すればいいのですから。

自分に陶酔してもいいじゃない。


時々かがみにポーズをとって「ボクって可愛い」的なことを意識することがある。デレステで言うと輿水幸子ちゃんみたいなこと。ポニーテールでこの画像のようにピースをすると可愛く感じる。お風呂場だと腰をくの字で前かがみになったポーズで楽しむときもある。(*‘ω‘ *)

可愛さの秘訣は適度に自分に陶酔することじゃないのかな?と感じる。やり過ぎると奇抜なファッションになり兼ねないが、若々しさを温存するにはやっぱりナルシスト的な要素と睡眠をたっぷりすることが要因なのではないかなと思う。疲れたり寝不足になると直ぐに老けたりして嫌になるが、ぐっすり睡眠を取ることによって肌も再生してるみたい。普段生活ではあんまり化粧はしないのもいいことなのかな?

今日は思ったことをつぶやいてみただけ。
さくらも開花してきたのでそろそろ遊びに行くついでにお花見したいです。