虎を狩り、ウサギを追う

芸を磨くのに「10,000時間」かかったり、未経験からビギナーになるには「20時間」費やせば誰でも経験者になれるというTEDの演説を見ながら、全てにおいて経験を阻害しているのはSCARY(怖さ)から来ているものと知って、自分がイラストを中々進められないのも「ちゃんとした物が誕生するのか」という恐ろしさと「本当に自分という存在は必要なのか」という強迫心が、追求心の邪魔をし人をネガティブにさせ、どうしてこんな行動をしているのだろうと脳は錯覚を起こしてしまうのだと知ることができた。

例を挙げるとすると「虎を狩る」というシチュエーションは、人間として槍を使う、罠を得る、餌を巻くなどをすれば虎を狩るかもしれない。しかしそれよりも「自分が食べれられる」という恐怖心のほうが上回るだろう。一度恐怖心を抱いてしまったら虎を狩るよりも死ぬことのないウサギを狩るほうが楽なのである。しかしながら楽を経験してしまうと、虎しかいない環境になった場合に、虎に対して生き残るという選択肢は苦痛になるだろう。

もしも「虎をかるのは趣味だから…」と呟くことにしよう「趣味」だからという言い訳は「時々やる・明日やる」という怠惰な気分であるということ、今日やらないと虎に殺される。このままだと腹が減って死ぬかもしれないと目標を課さない限りは、いつに経っても「SCARYの壁」は超えられないのである。

そして「虎を狩る」という目標を課した場合、あなたはどうするか?
『生身の人間(裸)のまま勇敢に挑む』人もいれば『罠をかけてじっくりと安全に調節』する人もいる『虎の絵を書いて虎を得た』と発言した人もいるようだ。「虎を狩る」だけでも色んな方法や個人の考え方があるだろう。ただ単に一つの答えに拘らなくてもよい、自分の理想な虎の狩り方が自分の個性に繋がるからだ。その個性を使ってSCARYの壁を超えることによって人は自信に繋がる。

他の動物とは違い、人間は失敗しても虎がウサギを狩るように食べられ死ぬことは少ないだろう。それだけ人間は失敗を経験しても許される動物であり、失敗を恐れるのは、洞窟で籠もるネズミのように得ることも狩ることもできない動物であり様子見で顔を出せば猫にさえ狩られるちっぽけな存在ということである。

もし、自分が虎になりたいのであれば努力しなければならない。虎もウサギを追いかけなければ食にたどり着けないからだ。行動しなければと危機感を持てば「捕まえることができないという恥ずかしさの恐怖」よりも「ご飯にたどり着けない」という身体的恐怖のほうが上回る。そしてもしも得ることが出来た時は「捕まえられない恐怖心」というのは無くなってるはずなのである。

なにせよ心に湧いてくる恐怖心というのは、全体に比べるとミジンコのように小さなもの。そんな小さいことに騙されて恐れ退いていると何もかもが追求心を無なものに変えてしまうということ、目標を立ててコレについて行動したい!という環境を作ることによって自身の向上心は膨れ上がってくるということを、上記動画を含めて自分なりの言葉で説明とさせていただきます。

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