これからの日本語の文化

Blogというものは日記であって自分のDiaryを他の人にオススメしたいという行為であり気まぐれに書いたらいいのではないだろうかと私は思う。とはいいつつ色んな記事をいているとタイトルはそうこれこれ!と惹かれるモノは多いものの、中身はスッカラカンだったり単なるスペックを書いてるだけというものは多い気がする。

ブロガーとしては広告収入を獲たいがために記事を書く。それが良いものか悪いものかをさておき話題があれば投稿する。それが今の世の中のインターネットだ。
ただ「質より量・じっくり考えるというよりは、速さを求める」という文化はあまりよろしくない。何故ならばひとつひとつの言葉の意味を考えずに内容を書きこんでいるからだ、ことばの綾を間違えて言い争いになり訂正するにも元の記事が話題になり。修正した内容など目にも触れず広まってしまうということがあるからだ。

とはいえ、こんな堅苦しい文章は一般人にとっては数秒で飽きてしまうだろう。
TwitterやLINEなどのSNSのように「今日!ちくわパフェ食べてきためう」と20文字くらいの内容で説明したほうが惹かれるし話題性としては良い。伝えたいことの言葉の簡略化というのが一般的な読解力として現れているのではないか?

別に読解力が低いと言っているわけではなく、一つの単語の言葉に複数の意味を新たに持たしているということ。それを自分だけではなく他のユーザーにも同じように認識できていることが素晴らしいということ。日本語の複雑さをさらに変化させていく文化が面白いというわけだ。

ただひとつ甚だしいことは「バブみ」とか「〜ンゴ」のような言葉が一般化してしまったことである。時代を遡れば「ギャル語」とか「ナウい」などの流行語として広まったものと同じものとしてカウントをすれば問題はない。ただ問題だと思うのは自分から知的の低さを露呈している。言葉の意味が赤ちゃんの発する言語と同じになってることに違和感を覚えるということ、「バブみ=ばぶばぶと母親に寄り添う姿=母性を感じる」という意味だが、本当に言葉として恥ずかしくないのか?と私はおもう。

話は戻して、私が伝えたいということは、直ぐに声にだして話さないで言葉を意味を考えて喋る文化や書く文化、モノを空想的にとらえられてそれを説明できるような文化になればと私は思っている。簡略化というのは便利だが時として伝わらない、全員が知っているというのは間違いであるということを伝えておきたい。

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