一度熱が出ると抑えきれない

そう一度熱ができると最後まで抑えきれずに最後まで続けてしまう。大半はゲーム(ソーシャルゲーム)なことが多いが、絵を描くにあたっても長々と作品を一ヶ月・一年かけて大作を作るよりもその日に出てきた感性で仕上げてしまうのが私の主なのかもしれません。なので銭湯や昔ながらの薪のお風呂のように一度冷めてしまうと加熱するまで時間がかかり、火がつき過ぎると作品熱が冷めるまで手をつけられないといった「銭湯(お風呂)体質」なのでしょう。言ってしまえば葛飾北斎のような性格だとは思ってはいますが、彼とは違う所は「食事、風呂以外は描く!」という中毒性であり、備長炭のように味のある熱を続けるには足りないといったところでしょうか。

ジャンキーホリック

ジャンキーホリックなその芸当に溺れるにはどうしたら良いのか?

褒められれば

人間というのは容易いもので褒められれば幸福に感じるドーパミンが出て、評価されずに不満に感じると「」が放出される。満腹時の幸福感やおもちゃを買ってもらえなかったときの絶望感などだ。なので「評価された」というのは一でも十でも自分が満足すれば次につなげたいと思う欲が出てくるのです。

特化したこと

誰にも出来ないような特化したこと。もしくは自分の世界観に浸れるような楽しい世界というのは「自分にしかできないこと」と捉えることができるので楽しいと思えることが出来て作品作りに楽しみを覚えることができるでしょう。なのでマイキャラを作るというのは自分の存在意義を投影するという意味になるのでオススメです。

他人の目に触れず

このブログのように見ているのかも解らない状態でどうしようもならないならば、いっそ他人に評価されるよりも自分の書きたいように書くということがホリックになる秘訣なのかもしれませんね。その代わり何度も見れて振り返られるようなことを続けていかなければ欲というのは薄れていって冷めやすくなるので適度なオイルは必要なのですが…。

自分から地団駄を踏んで消さないこと

自分から地団駄を踏んで灯火を消さなければ続けられるのです。ゲームだったりSNSを毎日続けられたりケーキバイキングや喫茶店に行く人だっている。毎日できればそれは趣味ですし趣味だからこそジャンキーになれる。中毒になれば楽しいことも実力が上がることもあるのですよね。火というのは燃えることは速くても点けるのは遅い。そういうことなのです。

文章クリエイトできる人って凄い

いやはや自分でも文章を描くことは好きですが、自分の世界感を文章にして長編を作れと言われても無理と言いたくなります。Twitterのフォロワーでは文章作品として世界観を紡ぐ人がいてその実力に驚きを隠せません。と言っても自分も昔はライトノベルみたいな「括弧」にキャラの言葉を繋ぐような小説を書いたことはあります。しかし時代としては15年前くらいに書いたものであり、文章力が増えたとはいえ今の技術で世界観を紡ぐということは難しいかもしれません。それだけ文章よりもイラストでの表現に力を注いだといえば注いでるのかもしれませんが…。

文章の難しさ

それで「文章」の何が難しいって最初に始まる言葉が難しいのですよね。
作文といえば「タイトル」書きたいことは山程あるけども「タイトル」がしっかりしていないと書き出しが良くわからないものになる。タイトルを無視して「書き出し」を重点に置くと文章は書きやすいが伝えたいことは不安定になりやすい、いざ最初から読み直すとなんだコレ…と頭を抱えるくらい粗悪な文章が出来てしまう。この行き違いが作文嫌いになりやすい原因。

「加筆」と「添削」・「プラス」と「マイナス」の試行錯誤を繰り返せば、作者の伝えたいことも明確化するでしょうが、やってしまうのは、それよりも書きたいことが上回ってしまうこと、そして修正出来ないほどに網目模様に紡いでしまう。解すには書いたものを直すよりも削除して伝え直したほうが早いのですから言葉って結構扱いに難しいものなのです。

そして想像で書く文章

さらに想像で書くとなると他の人に自分のあったことや妄想の世界観を表現しなければならない。
雪降る街並みにひとり孤独にたたずむ女の子…。っと客観的に、マッチはいかがですか…!と主観的に話す言葉。その組み合わせをうまく混ぜながら文章を書かなければいけないため作文やブログダイアリーを書くのとは違う難しさがあり上手い人なら息を吸うように紡ぐことが出来るでしょうが自分にはまだまだほど遠い技術です。だから話し言葉に「括弧」を多用してしまう悪いクセです。

それと不安定な世界観

イラストとしてキャラクターはあるものの、そのキャラクターがどのような過去があって未来にはどうしたいのかを決めていない。キャタクター原案の状態でしか作っておらず世界を紡ごうとしても不安定になってしまうから手をつけてないというのが、クリエイトできないのも要因の一つでしょうね。何故ならキャラクターが可愛いからおめかししたくなる箱入り娘(息子)だから汚したくないんです。考えてみると駄目な親ですね…。子は旅をさせよと言いますからストーリを構築していったほうが美味しいキャラクター設定になるはずなのですがね。

文章をクリエイトするにあたっては

たぶん自分も作品をつくるセンスはあるのでしょう。ただしょうもないストーリを作りたくない、凝った話を思いついたら書きたい!だから放置している。これが一番の理由なのかもしれませんね。ですが汚すのもストーリの一つ。マイキャラストーリ(生活感)もここのブログで披露したいですね。妄想が膨らんだから書き綴ります。

ブログのデザインをコッソリと変更

気がついた方は気づいてると思いますが、ブログのデザインを少しだけメイン文章を見やすくするために「単独記事のときはタイトル部分の非表示」と「ソーシャルメディア投稿ボタンを上段に」の2つを変更させていただきました。

実は前々から気にはなっていたもののPHP形式でWordpress内部のプログラミングをしなきゃいけないため、嫌だなぁと思ってたわけですが使っていたアドオンが非対応になったり様々なブログメンテナンスを行わなきゃいけなくなったためこれを気に更新しました。シンプルに変更ですが自分ながらシックリするものが出来たので嬉しく思います。

縦に高く、横に広く。

そうそう高身長で横にたくましいお相撲さんはモテるよね…!っではなくて「縦に長く専門的に勉強する」のか「横に広くボキャブラリーを取り入れる」のか人には2種類の考えがあると推測する。筆者は前者「縦に長く」なのでもしかしたら「横に広く」の方々に不信感を抱くかもしれないが、多数ボキャブラリーを持ってる人のほうが妬ましくもあり羨ましくも思っている。というのも会話をしている時に「あのドラマの主題歌の曲いいよね、このアーテイストの曲なんだけども話題になったあの曲も歌っているんだよ。こんな曲が好きなら違うアーティストのこの曲もオススメだよ」のような会話上手なシチュエーションを作ることができるからだ。自分にはこのようなシチュエーションは出来ない、縦に長く知識を取り入れるので「このドラマの主題歌いいよね。特に後ろで鳴っているドラムのリズムがいい。途中のジャッジャッと刻むところが一番の聞きごごちポイントだよ!」と受け身な話し方で共感を狙いつつと趣向が合うならばともっと凝った話を薦めていくからだ。

ただ、専門的な勉強をすることは悪くない。一般的に知っていることに対してさらに知ることができ、それに対して賛否両論な意見を言うことができる。クラシックのベートベンのように画家のピカソのように一つのものを突き詰めていくというのはよりよい。ただ一つのものに固着すると同じものにしか作らなくなってしまう。概念の固定化というもの。繰り返せば繰り返するほど出来なかったものが徐々に出来るようになるが、同じものを繰り返しているとそのことしか出来ずになり矯正しようとしても修正することもままならずどん底に陥ってしまうという。その点では幅広くボキャブラリーを手に入れたほうが様々なシチュエーションに耐えることができ上達の近道になる。

しかし、横に広く情報過多になるとそれこそ道化師な存在になってしまうだろう。様々なことをボキャブラリーにいれているため、色んなことを試行錯誤しやすい。アレやコレやと知ることは自分にも他人にも良いように話すことが出来るだろう。だが、知ることを知っただけで自分から挑戦しない。他人の言葉を嘘か真かも信じずに良いことだけ伝える人間になってしまう。そんな道化師な人間に詐欺をするように騙されることが判断できないのが横に広い人間の特徴である。

その点では「縦に長い」というのは自意識の強い職人のように極めることの出来る人間だということなのだろう。それに対して誇っても良い。ただし一つのものに固着するよりは新しいものに挑戦する。それに対して極めればさらなる極めたものとして身に残るからだ。

別に「横に広い」から騙されやすい。ダメだということではない、逆に「横に広い」ことを長所として縦に挑戦する。縦に広い人のように尖ったことは出来ないが様々な趣向を入れた知識というのは既存な事例を尊重しながらも「自分なりの新しいことを発見する」ことが出来るのが横に広いタイプの特徴だ。

隣の芝生は青く見える。相手が妬ましい。そう思えるのは「縦にも低く、横にも狭い」からであり無知であることを自分から自慢気に話す案山子のようなもの。だろう。

しかし隣の芝生が青く見えるからこそ自分の芝生を青くする。隣よりも青くしたいと思えるような実力があるのならば、それは「無知」ではなく「無明」だということ。何もないところから新しいものを発見する「縦に挑戦するのもよし(本を読んで試行錯誤)」「横に挑戦するのもよし(実際に上手い人に訊く)」それは好みの問題でもあるし人それぞれである。無知だからこそ新しいものを知ることができる無明だからこそ疑問を持つことができるそれが「縦に高く、横に広く」の精神なのではないでしょうか。

エイプリルフール

昔はWebページなどを弄ってエイプリルフールネタをするくらいは楽しんでいたのですが、最近は1日のために余力を注ぐということが出来ず。毎年4月1日を通過していまうという生活をしています。流石に嘘をついてもいい日とはいえ嘘をついたら自分に帰ってくるものですし平穏に生きたいと思っております。

何かの吉兆・凶兆だと思えばいいけど

草履の鼻緒が切れたときは何かの悪いことがあるとか、逆に悪いことがある前に神や守護霊が止めてくれて導いてくれているという話はありますよね。そんな感じでさきほど帰宅時にスマートフォンが落下して画面がパックリと破れました。今まで愛用していたスマートフォンだったのでちょっと哀しいといえば哀しいといいますが、逆にそのまま前に進んでいたら事故やら大怪我をするような凶兆を手を滑らして時間をずらしてくれたという霊の導きだったのかもしれません。前の記事で「常世と幽世」について話していたので誘われていたのかとちょっとこわい面もありますね。

鬼や妖怪に詳しくなった

最近、仁王2というゲームをプレーしていて日本の妖怪に詳しくなりました。ゲームの内容としては戦国時代に蔓延る妖怪や鬼を成仏させていくゲーム内容なのですが色々と知らなかった妖怪も多々出てきて知らずに好きになった妖怪としては「姑獲鳥(産女)」であり、出産時になくなった女性に出産した子どもを抱かして幸せに成仏させる風潮が日本や中国にもあるのかなと考えたりして少なからず教養としても楽しいゲームだと思っております。