勉強とボキャブラリー


 シスター

仏教の説経やキリストの説教を踏まえて人生とは何か、迷える子羊の為に助言をさしあげるお坊さんや神父さんって凄いと思う。自分でも「困っている人を手助けをする」という精神は強いのだが、最後まで見守ってあげられるようなボキャブラリーを合わせておらずギクシャクとした気持ちになってしまうことが多い。「経験は力」とは言ったもので様々な知識を長年取り入れている人のほうが知識も豊富になるってこと、知識を表顕せず頭の中の引き出しにいれて、『ここぞ』っていうときに披露できる人のほうが格好いい。

勉強とは「自分の生活していくための知識として取り入れるもの」だと。高校・大学まで勉強したからそれでいいやと止めてしまうのではなく「好きなもの」を追求してみる。歴史なら戦国時代の武将が大勢いるが、有名なのは「織田・豊臣・徳川」と教科書にも3人が戦国時代を統括したとは書いてある。しかしその当時に領地を制圧してたのは「細田」「上杉」と名前を聞いたことあるけど事情の知らないことがあるだろう。そういうときは詳しく説明している本や専門書をよみながら「勉強」して、さらなる向上心があるのであればお城にいき現地で「追求」する。これが正しい勉強だと私は思っている。

別に他人と一緒になることはない。変わった考え方もあれば他の人にはなかったアイデアも出すことができるだろう。ただボキャブラリーを増やすには自分から行動をして勉強をするしかない。大人になったからやめるのではなく、大人になったからこそ自由な行動や発見できるのだと。