自分が思う「慈愛の精神」

否定的なことを討論する人は沢山いるけども、肯定的なことを討論する人は少ない。他人の不幸は蜜の味とも言ったところか、他人を思う慈愛の精神というのは限られた人が持っている特別なものである。

ところで慈愛の精神ってなんだろう?と思う人も多いだろう。簡単に言えば「自分が愛されたければ他人も愛しなさい」ということ、自分が幸せになりたければ困ってる人を助けなさい。そしたらいつか自分が困ったときに誰かの助けがくるでしょう。否定的なことを考えてる人には幸せなことは起きませんよという言葉です。

他人を恨めば、自分が恨まれる。他人を否定すれば自分にも戻ってくる。
人生というのはそういうものです。

ただ、「自分が幸せになりたいから他人を助ける」というのは慈愛の精神とは違うものです。よく勘違いされるのがボランティア「心の中で目立ちたいから」「協調したいから」とか「苦労を感じたい」が為に参加をする人が多々います。面白半分で参加するというのはそれは自分自身に快楽を求めたい(楽しみが欲しいがため)でしょう。とはいえ「キチンとした心前」で参加するのであれば、それは仏教的な思想「慈悲深い」苦しみを楽しみに変えて幸せにしたいという思想にもなるかもしれませんね。

慈愛とは「自分から幸せにはなってはいけない」愛情を振りまいていれば後から「他人から幸せをくれる」ということ。そして、この気持ちを心がけてると心が豊かになるものです。

こだわりのサイクル

何かに意識をしてしまうとそれが気になって毎日・毎時と見てしまう。楽しみや嬉しさ好奇心が欲しいだけで実際のところ集中出来なかったり一途にものを見てしまうだけでデメリットが大きい。変なこだわりを持ってしまうというのは「変化のない同じことを繰り返す」「まわりのことばを気にしてない」というのが要因。

「こだわる」ということが悪いわけではない。陶芸品をつくる巨匠やさかなクンのような専門家などと一つのものに貫き通す努力をする方もいらっしゃるのである。では、彼らとは何が違うのか?

それは「こだわりのサイクル」が違うからである。

まずひとつのことにこだわる。前回と同じことだとしても一途にこだわり。もう成長が見えなくなったら諦める。そして新しいことに挑戦するというのが「一般的なこだわり」

ひとつのことにこだわりながらも新しいことを取り入れて挑戦しつつ欠点をどう補っていくかを追求していくのが、「匠や専門家などのこだわり」の考え方かもしれません。

少し考え方が違うだけでも、成長の速さは雲泥の差。自分のしたいことを考えながらも新しいものに目を向けて情報を発信することが大事だと思います。

ことばの積み木

文豪のエッセイのように1日400文字くらいで綴れれば良いとは思うのですが、なかなかそういうわけにはいかず、ものを書かずに一日を過ぎてしまうということに哀愁を感じるのです。

普段の生活をおもしろおかしく書いたり、描写的に書くというのは理解ってても難しいことです。大体の人は自分にあったことをそのまま表現してしまうので実際での読み手からしたらモヤモヤした状態で話が進んで、どの言葉が強調されているのか判らずに新たな言葉が登場してゆく自分だけの文章になってゆくのです。

言ってしまえば「積み木」のようなもの。四角のような角ばった表現があれば三角のように尖った表現もある。丸のような柔らかい表現は優しいイメージはあるかもしれないけど三角や四角などを使うときにはどうしても隙間が出来てしまう。その隙間がモヤモヤした表現があるということなのです。

もやもやした表現をどうしたら解消できるのかというと、角っこが丸くなっているような積み木。変わった表現をしてみるのが文章に味を持たせることができるポイントだと思います。

例えば「積み木でお城」を作ろうとするとき「とある某国、1800年続いた歴史のあるこの由緒あるこのお城に存続の危機が生まれた…」と角ばった表現もあれば「死闘の末、守ってきたが防衛は崩れ痛々しい傷が増えてく一方…」のような心にのこるような尖った表現。「BABY、それは赤ちゃん。今まで築いてきた文明を壊す無邪気な存在、何でもかんでも壊しちゃう」のような柔らかい表現にアクセントを加えた言葉などを組み合わせることによって面白みを伝えることができます。

とは言っても文章をうまく構築していくのは難しいので積み木のように「機関車作りたい」「お城をつくりたい」「動物園にしたい」などと伝えたいことを最初に決めておくのが上手になる言葉のエッセンスだと思います。

春の東武動物公園めぐり

4月は急に生活が変わったり、お仕事が増えたりと大変でしたね。自分の周りは書くということが出来ないほどお忙しいものでした。5月になり連休の時期になり、だいぶ落ち着きができたのでとある場所に行ってみました。

東武動物公園

https://tobuzoo.com/zoo/
けものフレンズとコラボしていた東武動物公園、賑わっていたときは行けなかったのですが上野動物園とは展示の仕方が違うのかな?と不思議に思い散策しに行ったのです。

東武動物公園入口

電車に揺られて一時間…着いたのが東武動物公園。ゴールデンウィークの頭だったのか思ったよりも混んでおらず入ることができました。目的は遊園地ではなくて動物に会いに行くため!ジェットコースターに乗りたいなとは思いつつ前に前にと歩みました。

たぬき

たぬき

最初にお会いしたのがお眠しているたぬきでした。たぬきといえば夜行性なのでお昼であるこの時間はのんびりと寝ていることが多いみたいですね。活発なたぬきもちょっと見てみたいです。

ミーアキャット

ミーアキャット
次はミーアキャットちゃん。二足で立つ仕草は敵がいないか監視をするためと言われています。防人っぽくて可愛いですよね。けものフレンズの看板も飾ってあってイメージが湧きやすかったです。

ミーアキャット - けものフレンズパネル

ペリカン

ペリカン
ペリカンって思ったよりも大きいのですね。自分のイメージするペリカンって50cm、アヒルをちょっと大きくしたくらいのサイズだとは思っていたのですが…そうでもなく私の体格と同じくらいのデカさでビックリしました。

大きいとは言ってもペリカンというのは割りと鈍感。だけども食べることには旺盛なアニマルなのです。食べ物のために怒ったり喧嘩したり変わった一面も出すのがこの子という訳ですね。

ホタルの楽園 ほたリウム

東京では0に等しいくらいホタルが居なくなってしまいましたね。山地に行けばホタルは見られるのですが、なかなかきれいな水がある地域でもそれほど見られなくなってしまったのが現状です。それでもホタルを育成して野生に返そうという研究が、ここ東武動物公園のほたリウムという場所で行われています。

ほたリウム

入場制限を行っているため30分くらい待ちましたが、実際入ってみて400円の価値はあると感じました。ホタルというのは親が光って綺麗に見えると思いきや、赤ちゃん(幼虫)のほうが元気に光るのですね。名前の通りプラネタリウムっぽくて綺麗です。

鳥と触れ合えるゾーン

ショウジョウトキ - けものフレンズパネル

ショウジョウトキ

フラミンゴ

もともとの予定でいたショウジョウトキに会ってきました。普通のトキにくらべると小さくて紅色な色をしているのですね。綺麗で美しいです。

まとめ

そんな感じで東武動物公園に訪れてみました。上野動物園にくらべて近く身近に動物を楽しめるのが、この東武動物公園だと思います。けものフレンズフェスティバルは7月1日までやっているみたいなので訪れてはいかがでしょうか?

衰退をかかえるローカル鉄道

黒姫駅 ローカル鉄道

www.chunichi.co.jp/article/feature/railnews/list/CK2017112402000228.html

2018/3/31にJR三江線が廃線になってしまい。次々と鉄の道は消えていくものです。廃線を避けられないのかと言っても鉄道ファンやローカル鉄道好きな方々が観光に来られても雀の涙。1年に1回のペースだけでは救えないものなのです。

それなら、住んでいる方々が使えばいいのでは?という言葉もありますが、専ら地元の人にとっては近場の店やお隣さんで済んでしまう。移動するにも電車よりも自家用車で行ったほうが時間を気にせず行動できるということ、移動手段が豊富な都市部とは違いなかなか鉄道という利便性が存在しないのが現状です

存続するべきか、廃線にするべきか

存続するべきか、廃線にするべきか。という選択は会社にとって自治体にとって難しい問題です。というのも交通の便として少なからず顧客はいるもの(学生やら自家用車を持ってない方・運転できないご年配の方など)それを断ち切ってやめるべきかという判断をしなければならなく長い年月をかけて話し合わなければならないということになります。

存続する場合

運営鉄道会社的には赤字鉄道は廃線にしたいので切り捨てたいのですが、県・自治体にとっては重要な交通路なので存続して欲しいということがあります。その場合、新しく私鉄会社に譲渡したり資金の一部(半数)を出資する「第三セクター鉄道」化というのもあります。

最近だと信越本線を譲渡した「えちごトキめき鉄道」とかが有名ですね

主に、車道での交通が悪い(山岳部)や川が多く橋のない閉鎖的な地域がある場合は赤字でも存続するべき鉄道として扱われることが多いです

廃線にするべき

赤字を解消するには値上げするしかない。ただ値上げしたら乗る人はいなくなってしまうというスパイラルにハマってしまいます。なので県や自治体に助けを貰うというわけですが…県や自治体としても資金を出しにくい。出しても見込める余裕がない場合は廃線になってしまうでしょう。代替するものがある場合(バスや地域タクシー)はそのほうが利便性のあるものとして変わらずにおえないということですね。

もともと国鉄時代の名残

まだ明治・大正時代として国鉄は「鉄道は産業としての導管」「都市でも田舎でも流れる道として切らしてはならない」ということもあり大勢が都市に移動したり田舎にもどるための交通手段。石炭や貨物を輸送するための導管として重宝されてきました。

それが自動車の発展や道の整備により移動手段が鉄から車に変化して、輸送するトラックが増え、個人は自家用車で移動する時代が産まれたのです。

変化して問題になるのが国鉄時代に増やしてしまった鉄道の数々であり国にとっては大赤字。事業をすべて国から法人へ委託する(民営化)が行われたのです。

もし鉄道が国家で行われていたら…

赤字とか資金が足りないとかを抜きにして、もし鉄道が国営だったらどのように変化するのでしょうかね…?国鉄のメリットとして国への許可が通りやすいので私有地ではない限り良い路線が増えていたり。輸送へのバケットの流用性があったのかもしれませんね。

衰退するのはしかたない

残念ながら一過性のお別れ期間だけではその鉄道を支えるというのは難しいということです。一日に100人200人きても1年にしてみれば数人増えただけというもの、安定した供給が変化しない限りは廃線を避けられないということです。JRも廃線を増やさないためにも都市部の鉄道で黒字を出してはいますが、それでも全体の1割 全ての赤字鉄道を支えようとすると利益が出ないという状態になっております。

慣れしんだ鉄道がなくなるのは悲しいですが。
時代の背景ということ、少しでも好きな鉄道に投資してみてはいかがでしょうか?