言霊と自分の伝えたいこと。

記事を多く書いたり惹かれるようなタイトルを書かないのでこのブログの流入数は1記事で20人程度(ほぼソーシャルメディア)です。コンテンツを絞っていない日記なので、この程度でしょう。

だいたい1記事を書くのに1時間はかかってしまいます。
自分の話したい言葉を考えながら感覚で書いて入力していき、同じような言い回しを使わないようにしたり、語尾が著しく変わっていないか確認したりと添削するのでソーシャルメディアの投稿のように直ぐに内容を書けるというのは難しいです。

ブログで何を伝えるべきか

ブログを書こうとしてやっぱり書かずに置いておこう。書いたけども単なる面白みのないことを綴っている内容が沢山ある。大体は近々で起こったこととか愚痴のような好評や批評などと語ってはいるが、書いてて楽しくない嫌悪感を抱いてしまってだるくなってしまうことが多々あります。

好評や批評・レビューというのはユーザーを引き寄せるには良いものですが、好転的な意見・悪化するような内容一個一個に敏感になってしまい精神的にも影響を受けてしまうということが最近わかりました。

言葉は言霊になりやすいというのはこういうことなんでしょうね。

自分の追い求めるもの

自分が追い求めるものとしては、自分の世界観を言葉やイラストで共有したい、小さなことだけども誰かの手助けになれば良いという意識を続けています。楽しいことは楽しい。辛いことはつらい。と言いたくなるような子どものような世界です。

ただ、ファンタジーな世界観を隅から隅まで綴るというのは難しいものでしょうし曖昧な設定だと前半良くても後半がふわふわして足がついてない状態で完結と後味の悪いストーリになってしまいます。だから自分の世界を語れる人というのは誇らしいと思ってます。

そんな人間になりたいかと言うとなりたいですし一総として制作したい気持ちはあります。ですが自分に足りないものとして、「終始をつくるのは上手いものの、中身がスッカスカ」な肉付きのない骨の基礎建築ということが問題です。話は面白いのに結果を早々と伝えたくなってしまい内容としては意味のわからないストーリになっている。途中で話の論点が変わりやすいことが欠点でしょうか。

次につなげたいこと

だれが閲覧するかわからないけども自分の妄想を言葉にしてストーリにしてみるのもよい試みかもしれませんね。この記事を書くまではなにか書いてよいものだろうかと突っかかった気持ちがありましたがスッキリしました。

自分が思ってる言霊。言えないことを言ってみるといいかもしれません。

絵を描いてて楽しいことつらいこと

最近はラフという下絵と言う状況でイラストを描いて満足している。
というのも「楽しい」というところで止めてしまって「つらい」という作業までしていないのが要因である。色を塗るという作業は思うよりも大変で例えるならイライラ棒を挑戦してるような感じである。

ラフ

紙に鉛筆で描くとする。この時は「どう可愛くしよう」と想像するように描いており自分が思う仕草や格好ができると「楽しい」という気持ちになり満足する。

線画

ここから重要な線を抽出する。
黒い線をなぞるようにペンタブで線を作っていく。感じで言えばイライラ棒のような集中力のいる作業。

色塗り(着色)

ある程度線画がシッカリしていれば塗ることはそれ程、苦ではない作業。
イラストの見栄えがしっかりする重要なことである。
半日で出来るものがあれば、背景をしっかりすれば1週間かかることも。

今後の気持ち

上手くできれば色をぬることも楽しい。ただ時間と評価を考えると新しいものを描いてた方がすぐに終えて楽に感じる。どこに努力を置くかによって上達は変わってくるし頑張りたいと思う。

徒然日和 – モノを継続する力

つれづれ(何もすることもなく退屈なこと)と びより(何かをするのに良い天気)
実は反意語な意味なのですね。検索するとブログタイトルが徒然日和してる人が多くて面白いです。

継続すること

実力を上げるのに継続することって大切です。
私が諦めずに継続していることは音楽ゲームのポップンミュージック
ペースとしては週2〜3に1時間遊ぶくらいですが続けてきたおかげで、腕前は一般の人よりも上手なくらい。流石に毎日近く遊んでたりしてる人には負けますが、継続していて良かったなと誇らしく思っております。

継続する上で解ったこと

数日なら休憩しても大丈夫

継続をする上でわかったことは「一日・二日」はサボってもそれほど影響はしない
実力が下がるから毎日継続しろと言われますが「一日・二日」とサボっても問題ないと思います。それよりも体調や睡眠をしっかりしないと好調子になりにくいです。

一週間・一ヶ月と手を休めるのは諦めてると同じなのでダメですけどね。

同じことを繰り返さない

2つめは「同じものを何度も繰り返さない」ということ、つい同じような方法や意識で継続しがちですが実際は非効率的です。最終的には何度も練習を重ね、目標をクリアすることは可能ですが、同じものを繰り返した時間を、似ているけども他の方法や意識に変えるだけで、一つの目標だけではなく次なる目標までも定めることができる。そう感じております。

ネガティブに考えちゃいけない

「ライバルは上手なのに自分はちっとも成長しない」

学生だった時はいつも頭のなかでネガティブに考えていました。成長しない理由として何がダメなんだろうと考えた時に「ライバルにはライバルなりの実力がある。でも自分にはライバルに優れるポイントがある」という考えに意識しなおしたらモノを継続するということ、優れるポイントを更に極めていくことの楽しみを感じることができました。

継続する上で何が大切?

楽しみをもつこと、一週間に何度も触ってもキモチが苦しく感じないこと。
たまには気分を変えて色んなことにも挑戦することが大切だと思います。

評価 = 継続 と考えがちですがそんな考えは捨ててください。自分が楽しく思える状態を作れば自然と継続は力として生まれ実力も上がっていきます。

最近の楽しみ

「1日1つ 面白いことをつくる」という言葉が好きです。

この言葉も大学の教授からいただいた言葉なのですけども、今日も明日も同じような繰り返される状態では生きていることに楽しみを感じることができなくなる。少しでもスリルやサプライズがあるような気分を変えることができれば幸福になれるということ
例えば、毎日歩いてる道を気分で変えてみるとか。頑張ったお祝いにコンビニでアイスやお菓子を自分のご褒美として買ってあげるなど些細なことでもいいのです。

それで、私の最近の楽しみは「傘や屋根に落ちてくる水音を聞くということ」です。
雨の強さによって「ポツポツ」や「コツンコツン」とか「ボトボト」と色んな雨のオノマトペが浮かんできて楽しいです。あめあめふれふれ♪と歌いたくなります(*‘ω‘ *)

晴れの時は月のカタチの変化を楽しんでます。赤かったり細長かったりしてあの月なら星のカービィみたいなカッターの形だね!と遊び心があって面白いです。

片言

つれづれと日和そして継続と無縁な感じはしますが、暇でも面白いことを見つけるということ、外に出たら新しいモノに出会うということ。続ける楽しさと幸せをみつけることが肝心なのでしょうね。

きつねの嫁入り

晴れているのに雨がふったり、
天気が悪そうなのに晴れていることを「きつねの嫁入り」と言います。

葛飾区 きつねの嫁入り 天気

ところでみなさんはこのような天気のことを何と言ってます?
きつねの嫁入りとは言わない地域の人は「おてんき雨」とか言うみたいです。

きつねの嫁入りと言われた由来

「きつねの嫁入り」について調べてみると様々な伝承はあるらしいですね。「きつねを助けた御礼にと引き出物を頂いた」とか「嫁入り行列を見ていたら女性が化けたキツネだった」とかあるらしいです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/狐の嫁入り

私の知ってる伝承

木の下でお会いした美しい白無垢姿の綿帽子を被った女性と色々とお話をしているうちに好きになり。結婚(お付き合い)するけどもいつの間にかその女性はその家から居なくなっている。という伝承です。

化かされた感覚

強いて言えば「化かされた」「騙された」という言葉が接点になってます、何かもどかしい感覚を言葉にした面白い日本語です。他にもたぬきにも「たぬきの腹鼓」という言葉もあったりして面白いです。

百聞は一見しかず

色んな人の意見を百回聞くよりも。自分の目で一回見たほうがためになるということ

私より年上の方々の世話話を聞くことが多いのですが、実際聞いててもためになったことはなく自分は自分なりの考えで生活しています。しかし何故、人は誇らしいと思ったことを他人に説明したがるのか、必要とされない時にネタをふるのか。

一つは「自分を褒めて欲しい」というキモチから来ていると思っております。
自分の経験したことを話すことによって今までの人生は間違ってないと自己暗示するもの。一人じゃ寂しいので聞いて欲しい。それで頷いて満足して欲しい。ただそれだけの理由なのではないでしょうか。

二つは「自分色に染めたい」ということ、共感する人を増やして自分を満足させたい。自分は上の存在(リーダーや上司)として命令したいからでしょう。

これらを踏まえると「人は誇らしいことを説明したがるのか」というのは「自分が幸せになりたい」そして「他人も幸せにしたい」という気持ちの現われなのでしょうね。

自分の人生は自分で決めたほうがよい

他人の世話話を多く聞くよりも、自分の人生は自分で決めて歩いたほうが楽しいです。色んなものを見たり経験したり、絵を見たり本を読んだりすることによって自分に必要なものが段々と見えてきます。道に迷ったらそこで聴けばよいものです。