陰から見守る守護的な位置

そよ風に流れて聴こえてくるのは新型肺炎コロナの話題、確かに生き残るために生を出すということは悪いことではないし生き残るというのは、自分自身にまだやりたいことがあるという表れだと思ってます。人も動物も昆虫もいつどこで死ぬという運命をたどるのかそれか予想ついたことなのか不幸なことなのかは時の導きが決めることなのかもしれません。

死んだあと霊になって書き込めれば現世にいる方々の恐怖を与えずに克服することは可能なのだと思われますが世の中では法度らしく死ぬ運命とは現世との文(ふみ)を届けられない苦渋の残るものでしょう。

死んだことはありませんが、常世(生きている世界)と幽世(死んだ世界)を彷徨ったことはあります。こと言えば三途の川ともいった場所でしょうか。俗説では死後7日間の間に常世と幽世に移動するための流れる川というのが一般的な解釈でしょうが…私は違うと思ってます。もしも現世で物足りない!と三途の川に刃向かう人がいたらどうするのかひょんとお墓の中から顔をだして生きる運命を選ぶのか、と過去のお話ではありそうなこと踏まえながら…

自分の思う「三途の川」というのは夢の中。常世1分の出来事が1時間後進んだような夢の世界感。今まで生きてきた楽しい出来事やびっくり恐怖にかんじたことが現身(うつせみ)として現れて生きるか死ぬかを彷徨う場所だと思ってます。死ぬのは怖いですが三途の川を彷徨ってる感覚は決して辛いものではありません。本人が幽世に行きたいと思わない限りは幸せを感じることのできる世界観だと思います。何度か経験はした事のある感覚なのでそれか三途の川とは言えませんが死との導きの一つになればと思います。

ところで現世を生きている私ですが、自分のしたいこと「人を助けること」を消化できていないので常世を生きているという感じです。ただ単に人を助けることが自分自身の取り柄なのかもっと個人のため人のために助言することはなかろうかと自分を鍛えながらも他人を愛すことを続けております。

死ぬということのためになぜ生きるのか決めていたほうが死んだときに三途の川でも幽世でも苦を感じることはなかろうと思います。単なる趣味、みんなに自分の音楽を届けたいからとか美味しいご飯を毎日食べさせてあげたいからとか簡単なことからでもいいでしょう。

最後に自分の書いたことを本気にしないでください。一つの語りなとして届けたいと言うことで長々と書いてしまいました。自分の中に秘めておくよりは経験した事として書いておいたほうが忘れずに残りますからね。

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